旭川市政施行から8年後の1930年。当時22歳だった創業者の太田盛重は、瀬戸物屋に勤めていました。 そんな彼が口にしたのが、この言葉でした。
盛重は瀬戸物屋を辞め、妻のヨシとふたりで、旭川から富山県の立山までガラス加工を習いに行きます。 技術を持ち帰り、旭川市2条10丁目に硝子屋を創業しました。1931年のことです。
雪の降る冬のある日、店の前に止めていたガラス運搬用のリアカーを盗まれたことがありました。 雪に残る車輪の跡を追いかけていきましたが、リアカーは見つかりませんでした。
2代目の太田勝康は、木製サッシが当たり前だった時代に「これからは、アルミサッシだ」と考え、 アルミサッシを扱うようになっていきました。
そうした時代を経て、いまはトリプルガラスや樹脂サッシなど、断熱性や気密性に優れた商品を扱っています。 時代ごとに、そのときの「これから」を選んできた95年でした。
